TRADING

01「ぼくらの人生と音楽」

VS.TALK 01 PART.5

Satoshi / kidd Guiter ∞
U-MA / kidd Drums
http://www.kidd.jpn.com/bio.htm

音楽を通した出会いが人脈をつないだ

聡士:それでゆうまは大学4年で、あと少しで卒業って感じの頃に岐阜に戻ったんだよね。
祐馬:そうそう。それからは岐阜にはスケボーやる場所も友達もいなくて、そこからまたバンド仲間と急激につるむようになった。あの頃から俺が“kidd”の渉外担当みたいなところがあったから、ライブの話をどんどんもらうようになって…という感じだった。
聡士:定期的に一週間に1回、必ずスタジオに入るっていうのが一般的なバンドワークなんだけど、僕らkiddはそうゆうルーティンワークではなく、ライブが決まったらスポットでスタジオに入っていて。だからずっと本格的に練習してる空気がなかった。それもさ、ピアノ教室をメインにしているような大垣の音楽館ってゆう子供もいっぱいいる様な音楽スタジオで練習してたから、いわゆるバンドの世界で生きてるって感じはなかったね。
祐馬:ライブもその音楽館が経営している倉庫を適当に改造した大垣MAXってライブハウスでやってて。PA設備も全然しっかりしていないような小屋、受付から駐車場の整理から全て自分たちで回すような所でねw
聡士:そんな適当なクソライブハウスでも、実はそこでライブをやってて出会った人たちが、僕らのバンド人生の中で最も大きかった。働きながら一所懸命バンドをやっている人たちばかりで、その姿はセンセーショナルだった。学生の僕らは弟のようにかわいがられて。
祐馬:いろいろ刺激をもらったね。
聡士:うん。人生を教えてもらった。

人と人の繋がりで、僕らはひたすらやってきた。

祐馬:その地元で育ててもらった意識をしっかり持ってその後もバンドを続けてたよね。
聡士:岐阜のバンド業界もいろんな人間関係、いろんな世界があって。
僕らのバンドではユウマがそうゆういろんな世界に飛び込んでいって関係をつなげていってくれたよね。特攻してくれた。そうゆう役回りの人だからね、ユウマは。
祐馬:まあ多分、俺が人に惚れやすいだけ(笑)。いろんな人に好意を持って、絡みたくて絡みたくて、すぐ声かけちゃう。それが結果オーライでどんどん人脈になって、それがバンド活動に還元していき、後に自分たちの世界を作っていく事になっていった。
聡士:バンド活動って、ただ音楽をやるだけではダメなんすよね。コミュ力がいる。そうゆう意味ではゆうまの存在はデカかったよ。
祐馬:うん。ただ、俺は好きでやってただけだから。
聡士: 岐阜だけでしばらくライブをやってたね。基本の演奏もろくにできない下手くそバンドだったから。その日々は、ゆっくりとした下積みだったね。
祐馬:うん。ライブは楽しくて、何本も何本もライブをやった。
デモテープ3作くらい出す期間はほぼ岐阜でやってたからね。
聡士:あとは浜松、豊橋、名古屋くらいだよね。たまたま繋がった人脈で東海地方くらいの範囲で活動してた。
祐馬:そこで出会った県外の人たちもとても大きな存在だった。
聡士:そうだね。浜松に僕らが愛して止まない先輩たちがいるんだけど、「watermelon」ってバンドなんだけど。まあ、世話になりすぎて一生頭上がんないし、心からずっと愛してる人達。
祐馬:一人一人あげたらキリがないけど、バンド活動とはそうゆう出会いがあるから好きだよ。俺は人が好きだから。
聡士:俺はあまり人が好きじゃない。wそこが俺とゆうまと対称的なところ。w
祐馬:人と人の繋がりで、俺らはひたすらやってきた。それを俺が、バンドで代表して引っ張ってきた。